by kamu-come-chika
|
3月12日(月)ドミ共生活258日目
3月13日(火)ドミ共生活259日目 3月14日(水)ドミ共生活260日目&入院生活1日目(祝27歳☆) 3月15日(木)ドミ共生活261日目&入院生活2日目 3月16日(金)ドミ共生活262日目&入院生活3日目 3月17日(土)ドミ共生活263日目&入院生活4日目 3月18日(日)ドミ共生活264日目&入院生活5日目 3月19日(月)ドミ共生活265日目&入院生活6日目 3月20日(火)ドミ共生活266日目&入院生活7日目 3月21日(水)ドミ共生活267日目&入院生活8日目(祝退院!) 日曜日、サマナというまちにクジラを見に行き、 帰路「ヤバイな~熱あるな~」と思っていたら、帰宅後発熱! 薬を飲んで夜7時に就寝するも、次起きたら40度の高熱。 「コレはマジでやばいかも・・・。もしやデンゲ?」との嫌な予感。 月曜日。 学校を休んでサンティアゴの大きな病院へ。 どうしても渡したいモノがあって学校に寄ってから病院へ行こうとしたら 「一人で行くの?それはダメ!」と、教務主任のBeatrizについて来てもらうことに。 ベッドが空いていないということで、緊急外来で点滴を2本打って帰宅。 「デンゲではないと思う・・・。」と言われ、とりあえずホッ。 同期の二人が来てくれて、Beatrizには帰ってもらえたので助かった。 火曜日。 また熱が上がり、お手伝いさんのInezについてきてもらって診察。 「血液検査するから朝一番に何も食べずに来て」っていうから 8時すぎ頃行ったのに、担当のM先生ガ来たのは9時。 その後どこかにでかけて帰ってこなくて結局見てもらえたのは11時。 クーラーがんがんに効いてて寒すぎ!余計悪くなるわ!とか思いつつ帰宅。 ママの心配攻撃がうるさい!耳が遠いからか声が超デカくて、 アタマ痛いのに大声で「大丈夫か?熱は?○○食べるか?」・・・ほっといて。 Inezが夕方帰るときに一人になるからってドア閉めて帰ったら ママが帰ってきて「なんでドア閉めるの?アンタは病気なんだから開けとかないと!」 「Chika!Chika!」とドアをドンドン。 ・・・ほんとに、動くのもツライから。ほんとにほっといて! 同期が来てくれて助かった。ご近所の○さんも来てくれてありがとう。 水曜日。 泊まってくれた同期に連れられ、前日と同じく血液検査のために朝病院へ。 またもや何時間も待たされ、ホントに寒くて凍えそうになっていると、 調整員さんから「いや首都来た方がいいかも・・・?今から迎えに行きます。」との電話。 散々待たした挙句、M先生は「う~ん、デンゲの可能性もあるわねぇ。」ってオイ! I調整員さんにいわれたとおり、「2~3日分の」入院準備をして、 首都のJICA顧問医のいる大きな病院へそのまま入院。 その日は私の27歳のバースデー。 なんでこんなところで一人で点滴打たれてるんやろう・・・と 枕を涙で濡らしながら、寂しい夜を過ごしました。 電話をかけてきてくれた人たち、ありがとう。ホントに嬉しかった。 木曜日。 調整員さんが本を持ってお見舞いに来てくれた。 首都隊員(日青ボ)がフルーツと、寒天作って持ってきてくれたし。 彼女はデンゲ経験者。彼女は四日で退院できたらしい。 点滴のおかげでか、熱もだいぶ下がりちょっと元気も出てきた。 ・・・でも、さすがにステーキ肉の塊がでてきた病院食は要らないよ(^-^;) 早く退院したい~うずうず。 でもデンゲの可能性は高いって言われてちょっとショック。 金曜日。 16-3最終報告会&送迎会、本日期限の会計報告のため、 多くの隊員が上京中の模様。 同期の一人と算プロ先輩隊員が来てくれる。 本&DVDを差し入れてくれて、元気になったら食えっておやつもくれた。 うん!スグにでも食う!・・・とか思ってたのに、 先生がやってきて言った言葉は「すっごい悪い!この結果を見なさい。」 提示された結果はホントにビックリ。 150(,000)以上ないといけない血小板の値が、17(,000)て。 その値の価値はよくわかんないけど、とりあえずすっごい悪いことだけ分かった。 退院は早くて月曜やと・・・はぁ。早く帰りたい。 ご飯も、その結果出てからホンマに味付けないし。超不味くて吐きそうやし。 プロジェクト関係のINAFOCANという機関のMarcerinaという偉いさんも来てくれた。 土曜日。 サンティアゴの同期隊員4人がみんなで来てくれる。 ご飯が不味くて食べられないって言ったら、100%ジュース買ってきてくれて。 電話のカードも無くなってたから、ソレも買ってきてくれて。 アイスも買ってきてくれた。 普段ならバケツ山盛り食べれるのに少ししか入んなかったけど。 日青ボの二人が一緒に来てくれた。ありがとうね。 みんなに会ったらだいぶ元気が出た。早く治して早く帰ろう。 今日は同期の一人のバースデー。 せっかく地方の同期も揃ってみんなでお祝いしようねって言ってたのに・・・残念です。 ○○ちゃん、おめでとうね~。 日曜日。 アタマは痛いし、お腹は痛いし、吐き気はするし、全身痛いし。 ただでさえ生理中は貧血で倒れそうなのに、 1日2回も血液検査で血抜かれてフラフラやし。 ふらふらになるから、休憩してからシャワー浴びよう・・・と思ってるのに 「まずはシャワーに入って、汗を流す!」とかって朝8時から布団引っぺがされるし。 「貧血だから後で。アタマ痛いから後で。」って言ってるのに聞いちゃいない。 しかも、打ち治してもらった(ずっと針刺してるとイタイのだ)右手甲に刺した点滴が 手を洗った拍子に抜けて洗面所血まみれになるし。 なかなか来てくれないからこのまま出血多量で死ぬかも・・・とか思って怖かった。 本日、1年先輩の現職教員が帰国。 現職教員はこの時期世界各地から一斉に帰国。 私たちも来年のこの時期帰国。 見送り行きたかったのに・・・。手紙言付けたかったのに・・・!ダメでした。 ごめんなさい、○○さん。お世話になりました。また日本でお会いしたいです。 そうそう、INAFOCAMの超超偉いさん、DonPedroも来てくださいました。 あまりに偉い人で私はあんまり知らない。 「誰?このオッサン?」とか思っちゃってごめんなさい。 月曜日。 もう着替えの下着も尽きちゃう・・・。早く帰りたい・・・。 その気持ちがピークになってたら、ちょっと朗報。 ちょっとだけ白血球の値が上がったと。きっと明日は血小板も上がるだろうと。 でもまだ退院は無理だね~って言われたけど。 もうなんでもいい。早くこの頭痛腹痛と気分の悪さと点滴から開放してくれぃ。 Marcerinaがまた来てくれた。仕事での付き合いしか今までは無かったから、 「おいおいちゃんと仕事せえよ~!}とかっていつも思ってたけど、 プライベートで会うと普通にいいオバチャン。 お母さんみたいで温かかった、ありがとう。 大使館の友人Kさん&Dさんが来てくれました。 実は先週電話がかかってきて入院している事を伝えると、昨日電話かかってきて、 「今サンティアゴに来てるんだけどお見舞いに行っていいですか?」って。 「いや私、今首都にいるんです」って言ったら 「え?そうなの?ならもっと早く行ったのに~。」って言いながら来てくれました。 大きな花束とヨーグルトとかクッキーとかも買ってきてくれた。ありがとう、ホントに。 火曜日。 やっと血小板の数値も上がって、73(,000)。 明日の血液検査の結果次第で退院しましょう・・・って言われた! やった、やった!帰れる!美味しいご飯が食べれる! ・・・この一週間、ロクなもん食べてないから痩せたかな?とか思いきや、 点滴し続けてて、顔も手も足もむくれまくり。 なんと4キロも増えてるのです・・・ありえな~い。 水曜日。 朝一の血液検査で、血小板105(,000)。 まだまだ基本値には満たないけど、金曜日に再度検査に来る事で退院許可! 点滴をはずしてもらい、晴れて自由の身! まだサンティアゴに帰れないのが残念だけど。 CASA(隊員連絡所)に一人で泊まるのとかコワイけど。 3日間刺しっぱなしやった点滴の跡が超イタイけど。 (今までは2日間で痛くて変えてもらってた。 でも針打つのも痛いから最後我慢しちゃった) でもでも!退院です!やった~(^-^*) 「なんで一人なの?誰か迎えに来ないの?」とか心配してくれる看護士さんたちに 「お世話になりました~☆一人で大丈夫でっす♪」って超笑顔で退院してきました。 そんなこんな、私のデンゲ生活10日間。 まだ本調子ではないけど、もう元気です! ご心配おかけした皆様、すみません。 同期は、ご飯作ってくれたり、担当校とか日本への連絡もしてくれた。 ママやInezや学校の先生たちも何度も電話くれたり、 違うパイロット校の先生がわざわざ病院に電話かけてきてくれたりもした。 CASAに帰って久しぶりにメールチェックしたら たくさんの人からお祝いメールが届いてた。 私っていろんな人に支えられてるんやな~と思った。 ホントにホントにありがたかったです。ホントにホントにありがとう。 残すところ1年となってしまった活動期間、 病気&怪我無しに元気に活動したいと思います。 ちなみに。 3食の食事に加えて毎朝6時に出てきたモノです。 超甘~いコーヒー&紅茶。 朝ごはんは食べずにコーヒーだけで済ませる人が多いけど 病院でもコーヒーが出るんだ!とちょっとびっくりしちゃいました。
by kamu-come-chika
| 2007-03-12 21:58
| つれづれなるままに
|
ファン申請 |
||